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いきなりですが、店主は酒が飲めません。
「ちょっと弱い」というレベルではなく、まったく受けつけない身体です。生ビールを半分も飲めば、もう限界が来ます。
それでも私は今、酒蔵をやっています。
なぜ飲めない人間が酒を造るのか。この問いに正直に答えるには、少し長い話にお付き合いいただく必要があります。脳梗塞、古美術、そして「袋吊り」という一杯との出会い。遠回りばかりの人生が、最後に一本の道へつながった話です。
酒という文化への最初の扉は、40年ほど前、私が高校生のときに開きました。
祖母が危篤になり、病院の待合室で何もできない時間を埋めるために手に取ったのが、置いてあった漫画『BARレモンハート』でした。
グラスの中にこんな世界があるのかそれが、私と「酒という文化」との出会いです。
20代はずっと、薄暗いショットバーのカウンターに憧れていました。
一杯の酒と短い会話で人を見送る、あの場所。いつか自分も立ちたいと本気で考えた時期もありましたが、飲食業のリアルを知るほど、自分が望んでいたのは経営ではなく「あの空気そのもの」だったと気づき、店を持つ夢は静かに畳みました。
転機は『日曜日の遊び方』というシリーズで読んだ、酒の造り方の章でした。
「密造酒」という、いま思えば中二病的とすら言える響きに、当時の私は完全にやられました。
法の外側で、自分の手で酒を生み出す、その行為に、ものづくりの原型を見た気がしたのです。
そして近年、アメリカではクラフトバーボン「ムーンシャイン」が流行しはじめました。
かつて禁酒法時代に山奥で密造された酒が、今は合法のクラフトとして堂々と造られ、売られている。
若い頃に憧れた密造酒のロマンが、現代の産業として成立している。その姿を見て、忘れていた火種がもう一度灯りました。
日本で同じことをやるなら何か。
答えは明確でした「どぶろく」。
日本人がいちばん古くから手元で造ってきた酒です。調べていくうちに、酒造りは想像よりずっと小さな場所で成立すると分かってきました。
「これは、自分のところでもできるかもしれない」。確信ではなく可能性として、初めて道筋が見えた瞬間でした。
もともと私は、手を動かして形あるものを残す職人仕事をしていました。
ところが31歳のとき、脳梗塞を発症します。
麻痺が残り、それまでと同じ仕事を続けることは現実的ではなくなりました。
30代の入口で、自分の身体が自分の言うことを聞かないという事実と向き合うことになったのです。
身体を使う仕事から、頭と目を使う仕事へ。
物販の世界に軸足を移し、いくつかの縁が重なって古美術商になりました。
手で作る側から、人の手が作ったものを見極めて次に渡す側へ。
立場は変わりましたが、「ものづくりの良し悪しを見る目」だけは、この20年でずいぶん鍛えられたと思います。
発症から20年が経った頃、麻痺が少しずつ和らぎ始めました。
完全に元通りではありません。
それでも、手が以前のように動く感覚が戻ってくると、心の奥でずっと押し込めていた声が聞こえてきました「やっぱり、職人仕事がしたい」。
50代を目前にして、もう一度ものを造る側へ戻りたいという衝動が、抑えられなくなっていました。
造る前に、まず売る側を経験しようと決めました。
酒類販売の免許を取り、最初の現場に選んだのは、神社の境内で行われる催しの一角。
期限付きの免許で許される範囲の中で、お客さまに直接酒を手渡す仕事を始めました。
古美術で培った「対面で価値を伝える」感覚が、ここでも生きました。
その後はネット販売へと事業を移し、全国の蔵元の酒を扱う中で、自分の好みや、お客さまが本当に喜ぶ酒の傾向が、少しずつ言語化できるようになっていきました。
けれど、売る側として酒に深く関わるほど、「自分でも造りたい」という思いは強くなる一方でした。
決定打になったのは、ある酒蔵の社長の講演を聞いた日です。
経営の話よりも、その方が酒造りそのものをどう捉えているかに、強く揺さぶられました。
聞き終えたとき、私の中の答えは出ていました。
自分も、酒蔵をやる、と。
ところがその少し前、2020年の初頭、私の身体に決定的な変化が起きていました。
ある日を境に、突然、酒が飲めなくなったのです。前触れも、思い当たる原因もありませんでした。
それまで普通に飲めていた生ビールが、半分も入らないうちに身体が拒絶する。
気分の問題ではなく、物理的に「これ以上は無理だ」という信号が、身体の中から強く出てくるのです。
病院で検査も受けましたが、悪いところは見つからず、原因は今もはっきりしません。
酒に関わる仕事をしたいと決めた矢先に、酒が飲めなくなる。笑うしかないタイミングでした。
転機は、ある酒蔵を見学に訪れたときに訪れます。
差し出された一杯を、いつものように「申し訳ない、飲めないんです」と断る前に、ひと口だけ口に含んでみました。
入る。身体が、拒否しない。
それは「袋吊り」と呼ばれる製法で搾られた酒でした。
その後、自分の身体で何度も確かめました。
市販の日本酒もワインもビールも、相変わらず駄目です。
けれど袋吊りで搾られた酒だけは、なぜか身体が受け入れてくれる。
圧をかけず、もろみを酒袋に入れて自重だけで雫を集めるあの静かな搾り方をした酒だけが、私の身体に入ってくるのです。
そのとき、すべての線が一本につながりました。職人仕事に戻りたい自分。
酒に関わる仕事がしたい自分。そして、自分自身が飲める唯一の酒。
造るべきは、袋吊りだ。
飲めない人間が蔵を構えるなんて筋が通らない、と言われそうです。
けれど私にとっては、むしろ、ここまで来て造らないほうが筋が通らないのです。
私が造りたいのは、何より、自分が飲んで美味いと思える酒です。
これは贅沢を言っているのではありません。
飲めない身体になった人間にとって、「飲める」という事実そのものが、その酒の品質を保証する一番厳しい試験紙だからです。
生ビール半分で身体が拒絶する私が、最後まで一杯を空けられるそういう酒だけを、世に出したいと思っています。
そしてもう一つ、強く願っていることがあります。日本酒が苦手だという人にこそ、飲んでみてほしいのです。
「香りがきつい」「後に残る」「悪酔いする」日本酒が敬遠される理由の多くは、本来の日本酒の姿ではなく、造り方や搾り方によって生まれてしまう雑味の話だと、私は考えています。
日本酒という言葉だけで身構えてきた人が、ひと口含んだ瞬間に「これは飲める」と表情を変える。
そういう一本を造ることが、当蔵の目標です。
その答えが、袋吊りです。
袋吊りとは、発酵を終えたもろみを酒袋に詰め、吊るして、自重で滴り落ちる雫だけを集める搾り方をいいます。
機械で圧をかけない。
槽(ふね)で押さない。
重力に任せて、酒のほうから出てきてくれる分だけを受け止める。
手間も時間も歩留まりも、通常の搾りとは比べものになりません。
けれど、その不利益のすべてと引き換えに、雑味のない、澄んだ酒が得られます。
なぜ袋吊りだけが私の身体を通るのか。
検査をしても原因は分からないままですが、「水素結合」という化学反応が関係していることは判ってきました。
圧をかけて搾るときに混ざり込む何か酵母の死骸なのか、もろみの細かな固形分なのか、私の身体が受け付けないものが、袋吊りの工程ではきれいに濾されて残らないのではないか。
私はそう推測しています。確かなのは、私の身体は嘘をつかない、ということだけです。
酒が飲めなくなったとき、酒に関わる仕事はもう諦めるしかないと思いました。
けれど袋吊りに出会って、状況は反転しました。
これは私にとって、ただの製法の好みではなく、酒造りを始めた理由そのものなのです。
飲めない人間だからこそ、雑味の有無に過剰なほど敏感になれる。
日本酒で痛い目を見てきた人の気持ちが、誰よりも分かる。
その立場でしか造れない酒があるはずだそう信じて、にっこにこ太陽酒造を始めました。
2026年、にっこにこ太陽酒造は、大阪府が手がける「大阪商品計画」の12期生に選んでいただきました。
小さな蔵にとって、酒を造ることと、その価値を正しく伝えることは、まったく別の技術です。
私には古美術と物販で培った「価値を見極め、対面で伝える」経験はありますが、現代のマーケティングやデザインのノウハウは、正直なところ足りていません。
大阪商品計画では、その足りない部分を一から学び、最終的には発表会の場にも立たせていただく予定です。
岸和田の小さな酒蔵が醸す袋吊りのクラフトサケを、ひとりでも多くの方に知っていただくために。
この機会を、大切に活かしていきます。
希米 さらり:袋吊りで搾った、混じりけのないプレーンなクラフトサケ。
希米 ふわり:「希米さらり」に季節の果物の果汁を重ねた、フルーティーなクラフトサケ。
希米 とろり:何も足さず、何も引かない。醸造したままの無濾過・無火入れの生どぶろく。
だから当蔵では、袋吊りで搾った酒をメインに世に出します。
量は造れません。
値段も、量産の酒と同じにはなりません。
それでも、雫の一滴ずつに責任を持てる造り方を、私は手放したくないのです。
日本酒という言葉に苦手意識を持っている、あなたにこそ。
まずはひと口、試してみてください。
飲めなかった私が、最後まで飲み切れた酒です。
にっこにこ太陽酒造 店主 杉本昭博のプロフィールはコチラ