古美術商が酒蔵を始めた理由、脳梗塞からの再起と、20年越しの酒造りの夢

古美術商が酒蔵を始めた理由、脳梗塞からの再起と、20年越しの酒造りの夢

2026年5月03日
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    当蔵では、酒造りの傍ら古美術商も営んでおります。
    というよりも正確には、もともと古美術商として営業していた店が、いつの間にか酒蔵に姿を変えていたというのが本当のところかもしれません。
    骨董と日本酒。一見すると遠く離れた二つの世界が、なぜ一つの蔵で同居しているのか。
    今日はその経緯と、20年越しに叶った夢の話を綴ってみたいと思います。

    なぜ古美術商が酒蔵を始めたのか

    杜氏たちが留添を行っている様子

    私は子供の頃からモノづくりが大好きで、30歳ぐらいまでは機械修理の仕事に携わっていました。
    手に負えないと言われた機械を直す快感、部品同士が噛み合って動き出す瞬間の感動—あの手応えは、いまでも忘れられません。

    ところが31歳のとき、長年のハードな仕事が祟って脳梗塞を発症してしまいます。
    当時はまだ若かったこともあって周囲も驚きましたが、結果として職人としての仕事を続けることが難しくなり、退社することになりました。

    古道具屋に落ち着くまで

    そこから紆余曲折を経て進んだのが、物販の道です。
    最初はネット古本屋として小さく始め、扱う品が少しずつ広がっていく中で、最終的には古道具屋に落ち着きました。
    茶道具や掛け軸といった骨董品の買取と販売を主な仕事としています。

    古道具屋という商売の面白さは、毎日違うものに出会えるところです。
    江戸の蒔絵、明治の九谷、無名の職人の手仕事など買取で気に入った一品が手元に来ると、しばらく眺めて惚れ惚れすることもあります。
    ただ、商売である以上は売りに出さなければなりません。
    「これは置いておきたい」と思った品も、次の持ち主のところへ送り出していく。それが古美術商の宿命です。

    ですが、酒造りを始めたいまは少し事情が変わりました。自分の造った酒は、自分の納得した酒器で飲みたい
    そんな思いが芽生えてきて、すこしずつ手元に酒器を残していくようになりました。
    骨董と酒、二つの仕事がここで初めて、自分の中で繋がってきたのです。

    転機は「もう一度、職人に戻りたい」という想いから

    発症から20年ほどが経った頃、ふと「やっぱり職人としての仕事がしたい」という気持ちが、また湧き上がってきました。
    麻痺もずいぶんと軽くなり、手も以前ほどではないにせよ、ある程度動かせるようになっていたのです。

    最初に思いついたのはフィルムカメラの修理でした。
    続いて皮革製品の制作。どちらも手仕事で、嫌いな分野ではない。 実際にやってみたもののカメラは古いものなのでものが減る一方、革製品はデザインが出来ないなどどうにもしっくりこない。

    何かが違う。何が違うのかはうまく言えないけれど、心の底からのめり込むには至らない。
    そんな試行錯誤を続けていた頃、人生を大きく変える出来事が起こりました。

    突然、お酒が飲めなくなった

    大吟醸酒をぐい呑みに注いでいるところ

    それまでの私は、晩酌は毎日欠かさず、飲むときは浴びるほど飲むいわば大酒飲みの典型でした。
    日本酒、焼酎、ビール、ワイン、なんでもござれ。

    ところが、ある日突然、生ビール半分すら飲めなくなったのです。

    検査結果はまさかの「健康そのもの」

    さすがに体に異変があるのではと心配になり、病院で詳しく調べてもらいました。
    ところが結果はまさかの「悪いところは一切ありません、健康そのものです」というもの。

    肝機能も問題なし、内臓も異常なし。しかし、お酒だけは受け付けない。
    酒飲みのプライドにかけて「飲めないはずがない、いずれ治るだろう」と毎日少量ずつ口にしていたのですが、改善するどころか、むしろ悪化していく一方。

    とうとう諦めて、まったく飲まなくなって早5年が経過しました。
    現代医学では解明できない症状なのではと不安にもなりましたが、その間、風邪一つ引かない健康そのもの
    なんとも不思議な体質です。

    飲めない。けれど、お酒には携わっていたい。

    そして酒販免許の取得へ

    飲めなくなったとはいえ、長年連れ添ってきたお酒への愛着は消えません。
    むしろ「自分は飲めなくても、お酒という文化に関わり続けたい」という思いはますます強くなり、その第一歩として酒類販売業免許を取得しました。

    古美術商と酒販。これだけでも珍しい組み合わせかもしれませんが、ここからさらに思いもよらない方向へ話が転がっていきます。

    実は20代から温めていた、酒造りへの想い

    日曜日の遊び方シリーズの「酒をつくる」の表紙

    時計の針を巻き戻して、20代後半のこと。
    私は本屋で偶然、ある一冊の本に出会いました。「日曜日の遊び方」というシリーズの中の一冊、その名も「酒をつくる」。

    ページをめくると、そこにはどぶろくの作り方が、必要な機材や材料の入手先まで含めて事細かに載っているのです。
    「えっ、こんなに詳しく書いていいの?」と驚きながら読み進めていくうちに、こんな一節に行き当たりました。

    免許のない状態で酒をつくると酒税法違反で100万円以下の罰金または懲役に問われる。
    だが、実際に捕まったところで大したことはないという趣旨のことが書かれていたように記憶しています

     

    許可なく1%以上の酒を造ることは禁止されています。昭和二十八年法律第六号 酒税法より


    若かった私は深く考えることもなく、「へぇー、そうなんだぁ」程度の感想で本を閉じました。
    それでも酒造りへの興味は心の片隅に残り続け、いつか試してみたいという気持ちはずっと持っていたのです。

    夢が空想で終わった理由

    ところが、いざ作ろうとなると、当時はハードルが高すぎました。

    • 麹を培養するための温度管理装置が手に入らない
    • 専用の酒米や麹菌の仕入れルートが分からない
    • 酒蔵に弟子入りするほどの覚悟も時間もない

    近所に酒蔵はあったものの、就職するという選択肢は現実的ではなく、結局、密造の夢は空想のままで終わってしまったのです。

    そして20年後、空想が現実になる

     

    2人の蔵人が醪に櫂入れを行っている銅像

    それから約20年。脳梗塞を経験し、職人を辞め、古道具屋になり、酒が飲めなくなり、酒販免許を取り人生の遠回りを散々してきた末に、ついに自分の蔵で酒を造ることが現実になったのです。

    20代の本屋で見たどぶろく作りの本。
    あのとき空想で終わった夢が、20年の時を経て、まったく違う角度から自分の手元に戻ってきました。
    古美術商として培った美意識機械修理で磨いた手の感覚、そして飲めない体になったからこそ追求したくなった、雑味のないクリアな酒これまでの道のりすべてが、いまの蔵元としての仕事に活きています。

    人生は無駄にならない、とよく言いますが、本当にそうかもしれません。
    脳梗塞という大きな挫折がなければ古美術商にはなっていなかったし、突然飲めなくなっていなければ、酒造りへの執着も生まれなかった。
    すべての出来事が、今日この蔵に繋がっています。

    まとめ:骨董と酒、二つの仕事が支え合う蔵

    古美術商と酒蔵遠く見える二つの世界ですが、私の中では同じ根っこから伸びた二本の枝です。
    長く愛されてきたものの価値を見極める目、自分の手で何かを作り出す喜び
    どちらも、私が大切にしてきたものです。

    飲めない店主が造る、飲める酒。空想で終わったはずの夢が、20年越しに実った蔵。
    これからも、酒蔵の日常や醸造の裏側、骨董との関わりを、少しずつ綴ってまいります。どうぞお付き合いください。

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    醸造家プロフィール

    この記事を書いた人

    代表 / 醸造責任者 杉本 昭博

    旨い酒を作りたいという思いで、岸和田の地にて酒蔵を始めました。また、酒造りの傍ら、古美術商も営んでおり、ぐい呑みなどの酒器を集めています。