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「袋吊り雫酒(ふくろづりしずくざけ)」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
お酒好きの方でも、その実態まで知る人は決して多くありません。
通常の醸造酒の3倍から、ときには8倍以上の価格で取引されるこのお酒。
「高すぎる」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、その価格には製造工程上どうしても避けられない、極めてシビアな経済的理由があります。
当蔵も「その他の醸造酒」の免許を持つ醸造所として、毎年この袋吊りに挑戦していますが、正直に申し上げて利益率は最悪です。
それでも造り続ける理由、そしてその一滴に込められた価値を、製造者の視点から包み隠さずお伝えします。

袋吊り雫酒とは、発酵を終えたもろみを布製の袋に入れて吊るし、自重で自然に滴り落ちてくる液体だけを集めて瓶詰めしたお酒のことです。
通常の醸造酒は、もろみを「槽(ふね)」と呼ばれる装置に入れ、機械や重しで圧力をかけて液体と固形分(酒粕)に分離します。
一方、袋吊りは一切の圧力をかけません。袋を吊るし、ただ「待つ」だけ。
雫が一滴ずつ落ちてくるのを、ひたすら集めていきます。
別名「雫取り」「斗瓶取り」「中取り」など、蔵によって呼び方は異なりますが、本質はどれも同じです。
— 重力だけで採取する、最も自然で、最も贅沢な分離方法。
これが袋吊りの正体です。
ここからが本題です。なぜこんなに値段が高くなるのか、数字で見ていきましょう。
一般的な機械圧搾(ヤブタ式など)では、もろみ1000kgからおよそ720〜780Lの酒が採れます。
歩留まりは概ね72〜78%。これでも醸造業界では「酒粕の中に酒が残る」と言われる、決して効率の良い数字ではありません。
同じもろみ1000kgを袋吊りで採取すると、採れる量はわずか450〜550L程度。歩留まりは45〜55%、最も澄んだ「中取り」だけを厳選すると、40%を切ることもあります。
つまり、同じ原材料・同じ仕込みでも、採れる量は通常の約半分。
残りの大部分は酒粕として、もろみの中に閉じ込められたまま酒としての本体は事実上ロスとなります。
原材料費・人件費・光熱費・タンクの占有時間がすべて同じであれば、計算上は通常の3〜5倍の単価をつけないと採算が合いません。
さらに袋吊りには最高品質の米・最高の精米歩合を使うため、原価そのものも数倍に跳ね上がります。
市場価格で通常品の3〜8倍になるのは、決してぼったくりではなく、むしろ良心的な設定なのです。
利益率が最悪なら、なぜ造るのか。
理由は大きく三つあります。

味の話に移りましょう。
袋吊り雫酒が他のお酒と一線を画す理由は、製法そのものに明確な答えがあります。
圧力をかけて搾ると、米の細胞壁が壊れ、苦味・渋味・えぐみといった雑味成分まで一緒に絞り出されてしまいます。
袋吊りでは、これが起こりません。
もろみの中で最も澄んだ部分だけが自然に落ちてくるからです。
口に含んだ瞬間の「クリアさ」は、一度体験すると忘れられません。
機械圧搾は摩擦熱や酸化を伴います。袋吊りは低温・無圧力・無酸化に近い環境で行われるため、発酵中に生まれた繊細な吟醸香がほぼ無傷で瓶に閉じ込められます。
これは多くの方が驚かれる特徴です。
度数は同じでも、アルコールの刺激感が圧倒的に少ない。
理由は、圧搾酒に含まれる微細な固形分や酸化物質が、舌や喉でアルコールの刺激を増幅させているから。
袋吊りはこれらがほとんど含まれず、アルコールが「水のように」体になじみます。

これは醸造家の間でよく知られた現象です。
普段アルコールをまったく受け付けない方、ビールも日本酒もワインも一口でダメ、という方が、袋吊り雫酒だけは「これなら美味しく飲める」とおっしゃることが本当に多いのです。
理由はやはり、刺激感の少なさと雑味の無さ。アルコール特有の「ツン」とした攻撃性が、袋吊りには驚くほど少ない。
お酒に弱い方、繊細な味覚をお持ちの方、贈答品で外したくない方そういった方々へのギフトとしても、実は最高の選択肢なのです。
袋吊り雫酒は、醸造所が利益を犠牲にしてでも造り続ける、業界の良心とも言える存在です。
一般流通にあまり乗らず、知名度が低いままなのは、生産量が圧倒的に少ないから。そして造り手も派手な宣伝をしないから。
弊社でも年間ごく限られた本数しか造ることができません。次の仕込みでまた同じものができる保証もない、その年その時だけの一本です。
ご興味を持っていただけた方は、ぜひ一度、その「雫」を体験してみてください。一滴の重みが、きっと伝わるはずです。
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この記事を書いた人
旨い酒を作りたいという思いで、岸和田の地にて酒蔵を始めました。また、酒造りの傍ら、古美術商も営んでおり、ぐい呑みなどの酒器を集めています。