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大阪府の南部、岸和田を中心とする泉州エリア。
だんじり祭りで全国的に知られていますが、実は古くから米作りと良質な水に恵まれた、酒造りに適しており、当蔵以外に老舗の蔵が2軒あります。
私たちは、この岸和田・泉州の地で、地元の水と米を使った酒造りに取り組んでいる小さな醸造所です。
今回は、なぜこの土地で酒を醸すのか、そしてここに至るまでの一人のものづくり職人の歩みについて、少しお話をさせてください。
一本の酒の向こうに広がる土地の物語と、人生の物語を感じていただけたら幸いです。

酒造りにおいて最も重要な要素のひとつが「水」です。
完成した酒の約8割は水で構成されており、水の質がそのまま酒の表情を決めると言っても過言ではありません。
泉州エリアは、和泉山脈・葛城山系から流れ込む良質な伏流水に恵まれた地域。ミネラルバランスがよく、麹菌や酵母の働きを穏やかに支える水質を持っています。
柔らかく、それでいて芯のある、そんな泉州の水で醸す酒は、土地の風土そのものを瓶に閉じ込めた一本になります。
泉州エリアは、古くから稲作が盛んな土地でした。
温暖な瀬戸内式気候、和泉山脈からの清らかな水、そして大阪湾からの潮風、これらが育む泉州近郊の米は、ふっくらとした甘みと上品な香りが特徴です。
私たちは可能な限り、地元の同級生が育てた米を使用しています。
地元の田んぼで育った米を使って醸す。
これこそが本当の意味での「地酒」の原点だと、私たちは考えています。
岸和田と言えば、やはりだんじり祭り。
緻密な彫刻が施されただんじりは、何世代にもわたる職人たちの手仕事の結晶です。
この土地には、古くから「手で何かを生み出すこと」を尊ぶ気風が根づいています。
酒造りもまた、人の手と感覚に支えられたものづくり。
岸和田・泉州という土地は、酒を醸すという営みを、自然と受け止めてくれる包容力を持っているのです。

ここからは少しだけ、個人的なお話をさせてください。
なぜ私たちがこの土地で酒造りを始めたのか、その背景にある一人の人生の物語です。
私は二十代の頃、職人仕事に明け暮れていました。
手を動かし、素材と向き合い、形にしていく時間が何より好きでした。
失敗もたくさんしましたし、思うようにいかない日々も数えきれないほどありました。
それでも、自分の手から生まれたものを誰かが喜んでくれる瞬間あの感触は、何にも代えがたい歓びでした。
「ものづくりの道で生きていく」そう信じて疑わなかった日々です。
しかし、人生は思いがけない方向へ動き出します。
31歳のとき、努めていた会社が毎日深夜まで働くブラック企業で、限界まで仕事をしていたので私は脳梗塞を発症しました。
幸い命に別状はありませんでしたが、職人として手先を細やかに使い続けることは、難しくなりました。
職種は違えど同じ職人だった憧れた父の背中、長い時間をかけて磨き上げた技術、これからの未来それらを手放す決断は、本当に苦しいものでした。
「もう、自分にはものづくりはできない」
そう自分に言い聞かせて、私は職人の道から静かに離れました。
それから20年。
私はものづくりとは違う仕事をしながら、リハビリと日常生活を続けてきました。
生活は穏やかでしたし、それなりに充実してもいました。
けれども、心の奥のどこかでは、いつも何かが燻り続けていました。
素材と向き合う時間、自分の感覚で何かを生み出す瞬間あの感触を、本当はずっと忘れられずにいたのです。
人は、一度本気で愛したものを、簡単には諦められないのかもしれません。

私はある酒蔵の社長による講演を聞く機会に恵まれました。
最初は何気ない気持ちで足を運んだだけでした。
その方は、酒造りの厳しさと美しさ、そして「土地と向き合うこと」の意味を、静かに、しかし熱を込めて語っていました。
米を扱うこと、水を扱うこと、菌と対話することそのすべてが「自然との共同作業」なのだと。
その話を聞いていたとき、ふと気がつくと、私は涙を流していました。
「これだ。これこそが、自分がもう一度やりたかったことだ」
職人の手仕事とは形が違うかもしれない。
けれど、素材と向き合い、時間と対話し、ひとつのものを丁寧に生み出すという営みは、確かにそこにありました。
20年間燻り続けていた火種に、はじめて新しい風が吹き込まれた瞬間でした。
私が選んだのは、「その他の醸造酒」という製造免許のもとで酒を醸す道でした。
清酒(日本酒)の免許とは異なるこの区分は、米と水を主原料としつつ、より自由な発想で酒を表現できる可能性を秘めています。
伝統に学びながら、同時に新しい味わいに挑戦できる、これは、20年のブランクを経て再びものづくりの世界に戻ってきた私にとって、最もふさわしい場所でした。
地元・泉州の水と米を使い、自分の感覚で時間をかけて醸す。
完成までの間、毎日タンクを覗き込み、香りを確かめ、温度を調整する。
その営みは、若き日に職人として培った「手と感覚で素材に向き合う時間」と、本質的には何も変わりませんでした。
形は変わっても、ものづくりの本質はひとつ。
素材を敬い、時間に寄り添い、自分の感覚を信じること。20年経って、私はそれを取り戻したのです。

私たちの醸造所が、わざわざこの土地で酒を作る意味、それは、この土地そのものを一本に込めたいから、ということに尽きます。
泉州の伏流水が持つ柔らかさ。
地元の田んぼで実った米のふくよかさ。
だんじりの町・岸和田が培ってきた、人と人との温かい繋がり。
これらすべてが溶け合ってはじめて、「この土地でしか醸せない酒」が生まれます。
大量生産では決して再現できない、土地の物語を持った一本。 誰かの手と心が込められた、たしかな手仕事の酒。
それを届けることが、20年の回り道を経て辿り着いた、私のものづくりの答えです。
「岸和田・泉州で酒を醸す意味」この問いに、私は今こう答えます。
それは、この土地への感謝であり、再びものづくりに戻れたことへの感謝であり、そしてこの一本を手に取ってくださる方への感謝の形なのだ、と。
人生は、思い通りにいかないことの方がきっと多いのでしょう。
それでも、20年経ってから扉が開くことがある。
回り道の先で見つかる景色もある、そんなことを、私はこの酒造りを通じて、日々教わっています。
ぜひ一度、私たちが醸した酒を味わってみてください。
20年の時を超えて再び動き出した職人の手が、一本に注ぎ込まれています。
岸和田・泉州の風土を、ぜひあなたの食卓にも。
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この記事を書いた人
旨い酒を作りたいという思いで、岸和田の地にて酒蔵を始めました。また、酒造りの傍ら、古美術商も営んでおり、ぐい呑みなどの酒器を集めています。