新米醸造家の希米なブログ

酒造りに関することや、酒蔵の日常を希米(きまま)に綴っています。

チーズ

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腐敗と発酵は紙一重 微生物が生み出す「有益」と「有害」の境界線

2026年4月26日
腐敗と発酵、その違いはたった一つ 「腐る」と「発酵する」この二つは、実は科学的にまったく同じ現象なんです。 どちらも微生物が食べ物に付着し、その成分を分解・変化させる働きをいいます。では何が違うのか。 答えはシンプルで、人間にとって有益かどうか、ただそれだけなんですよね。 私は、賞味期限が切れたような納豆やチーズをどうせ腐らせて作ったものだからといって食べてお腹を壊していました。 いくら有益な菌だと言っても、その後有益でない菌が付着し発酵ではなく腐敗に変わっていることあるので、賞味期限切れは程々にしたいと思います。 そんな、納豆やチーズ、味噌や醤油といった発酵食品は、特定の菌の働きによってうま味や栄養価が高まり、私たちの体に嬉しい食べ物へと変化します。 一方で冷蔵庫の奥で忘れていた食材が「腐った」ときというのも、同じように野生の菌が活発に働いています。 ただし、その結果が人間にとって有害であるために「腐敗」と呼ばれているんです。言い換えれば、発酵食品とは人類が長い年月をかけて「有益な腐敗」を選び抜いてきた知恵の結晶とも言えますね。 日本酒・パン・チーズなど、発酵食品に共通するメカニズム 発酵の仕組みを知ると、身近な食べ物への見方が変わります。 日本酒を造る際には「醸す(かもす)」という言葉が使われます。まず麹菌が米のデンプン(炭水化物)を糖へと分解し、次にその糖を栄養源として酵母菌がアルコール発酵を行います。 この二段階のプロセスが、あの豊かな香りと味わいを生み出しているんですよね。パンも同様です。 小麦粉に含まれる糖分をイースト菌(酵母)が食べ、その際に発生する二酸化炭素ガスが生地を膨らませます。 一度成形した生地が再び膨らむ「二次発酵」も、同じ酵母の働きによるものです。焼き上がったパンのふんわりとした食感は、目に見えない微生物たちの活動の賜物と言えるでしょう。 チーズや納豆も乳酸菌や納豆菌という特定の微生物が原料を変化させたもの。どれも根本にあるのは「菌が有機物を分解する」という同じ原理です。 先人たちの「命がけの試食」が今の食文化を作った その象徴的なエピソードが、納豆の起源です。 極度の空腹状態に置かれた人が、炎天下で変質してしまった豆を口にしたところ、意外にも美味しかった。これが納豆誕生の始まりとも伝えられています。通常であれば手を出さないような状況だからこそ、偶然の発見が生まれたわけです。 世界最古のお酒「ミード」が生まれた奇跡の瞬間 発酵の歴史を語るうえで欠かせないのが、ミード(蜂蜜酒)です。ワインやビールよりもさらに古く、約8,000年〜1万年前に遡ると言われる、世界最古のお酒として知られています。 その起源については、こんな説が伝えられています。野生のミツバチの巣が水たまりに落ち、そこに天然の酵母が付着して自然発酵が進んだ。偶然その場を通りかかった人物が漂ってくる芳しい香りに気づき、近づいてみると蜜が溶け込んだ液体がある。 ふつう何が入っているかわからないような、水たまりの液体を怖くて飲めませんよね。動物のおしっこかもしれないし・・・。 しかしその人は、激しい喉の渇きで死を覚悟するほどの状況にあったみたいで。「どうせ死ぬなら」と飲んでみたところ、驚くほど美味しく、さらに心地よい酔いの感覚を初めて経験をしました。 これがミード、ひいては人類とお酒の出会いの始まりとも言われています。 納豆の発見譚と重なるこのエピソードが示すように、人類の食文化における偉大な発見の多くは、極限状態での偶然から生まれてきたのかもしれません。 ハネムーンの語源はミードにあった ミードにまつわる話で、もう一つ興味深いエピソードがあります。それが「ハネムーン(honeymoon)」の語源です。 古代ヨーロッパでは、結婚したカップルが自ら蜂蜜を集めてミードを仕込み、完成したお酒を家族や友人・知人に振る舞う風習がありました。 ミードが飲み頃になるまでにはおよそ一ヶ月かかることから、結婚後の一ヶ月間は「蜂蜜(honey)の月(moon)」すなわちハニームーンと呼ばれるようになったと言われています。 蜂蜜には古くから「豊穣・繁栄・愛」の象徴としての意味が込められており、新婚夫婦がミードを飲むことで夫婦円満や子宝に恵まれるという願いも込められていたようです。 二人で丹精込めて仕込んだお酒を、大切な人たちと分かち合うそんな温かな文化が、現代の「新婚旅行」を指す言葉として世界中に残っているというのも感慨深いです。 蔵付き酵母から協会酵母へ。日本酒醸造の技術革新 日本酒の醸造においても、発酵の主役である酵母をめぐる歴史があります。 昔の酒蔵では、外部から酵母を調達するのではなく、その蔵が建つ土地や建物に自然に棲みついた「蔵付き酵母」を活用していました。そもそも売っていませんでしたし(笑) 各地の気候・風土・建物の構造が生み出す固有の酵母菌が、それぞれの蔵の個性ある味わいを作り出していましたが。 昭和時代に入って転換期が訪れました。 日本醸造協会が発足し、全国の酒蔵から優れた酵母を収集・分析し、品質の高い酵母株の培養に成功。これを「協会酵母」として全国の酒蔵に提供する仕組みが整いました。 この取り組みによって、日本酒全体の品質が底上げされ、味のバラつきが大幅に改善されたといいます。 どの蔵でも安定した高品質の酒が造れるようになったことは、日本酒文化の普及・発展に大きく貢献しました。一方で、こうした流れに逆らうように、蔵付き酵母や自家培養酵母にこだわり続ける杜氏や酒蔵も存在します。 協会から酵母を購入せず、自らの手で酵母を育て、その土地にしか存在しない個性を酒に宿そうとする姿勢は、まさに発酵文化の本質を守る試みと言えるでしょう。 微生物と人間の、長い長い共同作業 納豆の起源から世界最古の酒ミード、そして現代の日本酒醸造に至るまで、発酵の歴史は人間と微生物の長い共同作業の歴史なんですよね。 目に見えない小さな菌たちが、食材を変え、飲み物を生み出し、文化を育ててきました。私たちが、その恩恵を受けられるのは、沢山のお腹が痛いという思いをを重ねながら「有益な発酵」を見極め、伝えてくれた先人たちがいたからこそです。今日あなたが手にする一杯の日本酒にも、そんな悠久の発酵の歴史が詰まっています。 もちろん私がお酒を醸せるのも先人たちが培ってきた歴史のお陰で造れているということを考えると感謝しかないですね。  
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日本酒発酵の科学:麹・酵母・乳酸菌が織りなす精密な醸造プロセス

2026年4月20日
日本酒って単純な「お酒」ではないんですよ。 まず、白米というデンプン質の基質から出発し、複数の微生物が役割を分担しながら段階的に変換を行う世界でも類を見ない複合発酵飲料なんです。 その発酵プロセスを、微生物学・生化学の視点から紐解いてみたいと思います。 1. 製麹工程:酵素産生のプラットフォームの構築 日本酒造りの第一の鍵は麹菌(Aspergillus oryzae)による製麹工程にあります。 外硬内軟(外側が固くて中側が柔らかい状態)の蒸米に麹菌の胞子を散布するところから始まり、種麹が散布された蒸米は温度・湿度を精密に管理した麹室(こうじむろ)で約48時間程度培養していきます。この間、麹菌は菌糸を米粒内部へと伸長させながら、多種多様な加水分解酵素を分泌しています。 特に重要なのがアミラーゼ(α-アミラーゼおよびグルコアミラーゼ)とプロテアーゼの産生です。α-アミラーゼはデンプンの α-1,4-グリコシド結合をエンド型に加水分解してデキストリンを生成し、グルコアミラーゼはその末端からグルコースを逐次的に遊離させる。この二段階の糖化反応により、酵母が資化可能な単糖が供給される。プロテアーゼはタンパク質をアミノ酸・ペプチドへと分解し、後工程における酵母の窒素源として機能するとともに、酒の旨味成分の前駆体にもなる。 専門用語を並べていますが、要するに、麹菌がデンプンの塊である米を分解して糖分に変化させて、次の工程の酵母が二酸化炭素とアルコールに分解しやすいようにしてくれいているということです。 2. 酒母(しゅぼ):微生物叢の精選と酵母の増殖 次に、製麹で得られた麹と蒸米・水・酵母を小さなタンクに仕込み、「酒母」(もと)と呼ばれる高密度酵母培養液を育成していきます。 伝統的な生酛(きもと)・山廃酛(やまはいもと)では野生の乳酸菌(Lactobacillus 属等)を自然に増殖させますが、現代の酒造りでは殆ど行われていません。その代わり、現代主流の速醸酛(そくじょうもと)では、生酛や山廃元のように乳酸菌を増殖させるのではなく醸造用乳酸を直接添加しています。 乳酸菌によるホモ乳酸発酵(C₆H₁₂O₆ → 2CH₃CH(OH)COOH)は醪(もろみ)のpHを急速に低下させる。このpH低下は選択圧として機能し、酸性条件に弱い雑菌を排除しながら、耐酸性を持つ醸造酵母(Saccharomyces cerevisiae)の増殖を優位に立たせる。この段階で酵母は対数増殖期に入り、後工程のもろみ発酵に備えて細胞密度を高めていく。 醪が酸性化することで、醸造に悪影響を与える雑菌が入っても酸性度が高い状態では行きていくことが出来ず死滅してしまうのを目的としています。 そんな中、酵母は酸性に強いため他の雑菌とともに死滅することはなく仕事ができているのです。 3. もろみ発酵:並行複発酵という世界的にも稀な発酵様式 日本酒最大の特徴が、この並行複発酵(concurrent saccharification and fermentation)にあります。 ビールのように糖化・発酵を分離せず、麹による糖化と酵母によるアルコール発酵が同一タンク内で同時進行する。 これは世界中の醸造飲料の中でも極めて稀な発酵様式なんですよね。 麹米・掛米・水を「初添・仲添・留添」の三段階(三段仕込み)に分けて段階的に投入するのは、酵母菌体密度に対する基質濃度を適正範囲に保ち、オスモティックストレスによる酵母活性の低下を防ぐためででもあるんです。 また、この操作は低温・長時間発酵(約20〜30日)と組み合わせることで、香気成分(酢酸イソアミル・カプロン酸エチル等)の生成を促進し、複雑な風味プロファイルを形成します。 アルコール発酵の中心反応は解糖系(エムデン-マイヤーホフ-パルナス経路)を経たエタノール生成の:C₆H₁₂O₆ → 2C₂H₅OH + 2CO₂。。 発酵末期のアルコール濃度は14〜20%に達し、これは酵母自身によるアルコール耐性の上限に近い値なんですよね。 結局最後は、酵母の力で二酸化炭素とアルコールに発酵という形で変化しましたが、そのアルコール濃度が高くなるに連れ酵母も死滅していくんです。 4. 上槽と火入れ:発酵の終止と品質の安定化 もろみが熟成すると「上槽」(じょうそう)と呼ばれる固液分離工程を経て清酒と酒粕に分けられ、透明なお酒になります。 その後、多くの場合火入れ(低温殺菌)を行います。 幾ら酒粕と分離しても、まだ生きている酵母はいるので、60〜65℃での短時間加熱処理を行い、残存する野生酵母・乳酸菌の失活と、酵素活性(特に残存アミラーゼ)の不活化させます。 こういったパスツーリゼーション(低温殺菌法)の概念が日本で独自発展した技術として、西洋のパスツール(ブドウからワインが造られる原理を解明した人の名前から)よりも約300年先行するとされています。 日本酒の発酵は、微生物学・酵素化学・食品工学が交錯する精緻な生物学的プロセス。 麹菌、乳酸菌、酵母それぞれが異なる時空間的ニッチを占めながら連携することで、あの透き通った一杯が生まれるんですよね。 世界中で飲まれるお酒ですが、清酒の製法は日本独自のものというお話でした。